理解するのではなくそれ自体を愛する

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どうもササブログ のちゃちゃです。

台風が過ぎて最高の天気。たまーにはシトシト雨より雨がザーザー降ってパッと止むのもいいですね。

皆さんはどうしても理解できない状況に立たされた事ありませんか?

僕なんか今日駅の改札口前で、中年のカップルがキスしているのを見てすげ〜と思いましたよ。

あんな人がいっぱいいる前でできるもんじゃないと。台風も過ぎたし少し大胆になっていたのかな。

少し羨ましさもありながらマックに向かいました。

こんな事って結構あると思うんです。理解に苦しむ事。これって結構苦しいんです。

モヤモヤしてしまって集中できなくなったり、他の行動に支障をきたしてしまう事も。

これを解決出来そうな言葉を見つけそれに可能性を感じました。

結論から話します。

その言葉は、「理解するのではなくそれ自体を愛する」というピカソさんの言葉です。

なんだよまたピカソさんかよ天才の言うことなんか凡人にはわからないんですよと聞こえてきそうですが、ちょっとお待ちください。

色んな名言てそこら中に転がっていますが、噛み砕いて考えていくのってとっても楽しいんですよ。

是非楽しみの境地に僕が連れていきますとも。

大前提として人間にとって、理解という言葉自体に色んな解釈があると思います。

以前の会社でよく「理解でなく、納得して欲しい」という様な言葉をかけれたことがあります。

確かに理解と納得は違いがあります。

言葉も発音も違いますし、辞書にも違う意味で解説してありました。

でも明確な線引きは個人によって違うのではないでしょうか?

正しく言葉を理解して使っている方が日本人にどれくらいいるのかもわかりません。

人間は様々な概念で生きています。

それも都合のいい様に変えれる概念、人間は自分をエコひいきしますからむしろ変わっていて当たり前です。

そんな世の中で「理解するのでなくそれ自体を愛する」これを実現んできるのでしょうか。

例を一つ出します。

鳥が鳴いているのを聞いて、誰かその泣き声に対して理解しようとするでしょうか?

台風が来たり雷が鳴ったり、大災害が起きたりして誰が地球を理解しようとするでしょう。

おそらくその道の学者や本当に興味を持った人しか理解しようとしないはずです。

多くの人は、理解するしないの話以前にその事柄に対して何も感じていないのです。

その何も感じていない状態すなわち無意識の状態こそがポイントになるのです。

どうせ無意識なら愛してしまえと。ピカソはそう伝えている様に感じます。

無意識って結構あるんですよ。寝ている時、ボーっとスマホを見ている時などなど。

意識的に行動をしていない時って基本無意識です。

もっというと意識している行動すら何も考えずに無意識に行なっているのかもしれませんね。

考えれば考えるほど奥が深く無意識になりそうなので、この辺にしておきます。

僕がここでもっとも強く伝えたい事は、理解できない物事や考えを無条件で愛する事ができれば人生の見え方が変わるのではないかという事です。

理解できない事に怒りもがき苦しむ、そんな人生誰も幸せになりません。

物事の大小にとらわれず全てにおいてです。

逆に恋愛とかでもそう相手のことを理解しようとかたくさん知ることをあえてしない

人間そのものを愛することができればその人に対する理解なんて対して必要でしょうか?

僕はそこまで重要には感じません。

理解することが目的になってしまわないでしょうか。

理解しても人間誰しも成長していくとともに考え方、見た目、喋り方、態度、価値観全て変わります。

むしろ明日の自分さえ今日に自分とは違いますよね。

細胞は生まれ変わり、髪の毛は抜け、体温、体重、血圧、全て違います。

そんなもの一つ一つに対して理解しようとしないくせに、都合の悪いこと、気に入らない事に対しては理解できない。

理解しようともしない。

そんな人に溢れています。

そんな事なら理解できない事、無意識の部分を無条件の愛で一旦受け入れることから始めてみてもいいのではないでしょうか。

それから行動に移すなりなんなりしても遅くない気がします。

あくまで一個人の意見ですし、多くの反対もあるでしょう。

僕はそれすらも受け入れる覚悟はあります。

そうすることでピカソさんも言っていた「理解するのでなくそれ自体を愛する」という言葉に近づける気がします。

誰しもがそんな生き方を望んでいるわけでもなく、一つの物の見方ですが何かのきっかけになれば幸いです。

それではまた

楽しんで人生生きていきましょうね。

ばーい

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